Lab. Excursion to Germany to survey development and
conservation of
Clay Architecture
ドイツ土建築紀行 2004年3月
2003年11月月末、
イランのヤズ
ドで開催された第9回土建築国際会議の席上ドイツ人研究者と懇意になり、
2004
年3月末彼の興味深い彼の研究を視察するためにドイツに行くことにした。12年前にダルムシュ
タット工
科大
学に招かれたとき、急ぎ足で2、3の歴史的都市を見ただけだったので、今回はできるだけ多くの都市と
建
築を見てこよう。特に、木骨土壁造建築がライン川流域の観光都市だけで修理修復され残されているのか、土
を
使っ
た建築が今日どれほどの地位を占めているのかを知りたかった。10年前にイギリスの都市・集落を見て
歩い
たと
きには、わずかな木骨土壁造建築が文化遺産や観光対象として残されてるだけのように感じた。
17
歳の子供を連れて、3月21日に大韓航空で名古屋空港を飛び立つ。フランクフルト便に乗り換えるた
めに
イ
ンチョン空港に立ち寄り、マレイシアのクアラルンプール新空港と同じ巨大空港の不便さを思い知る。

インチョン国際空港の内部
フランクフルトに到着し、ドイツ初日はマールブルグに住む友人宅にお世話になる。この都市は中世から近
代に
か
けて大きな役割を果たし、カトリック教時代には聖エリザベートの奇跡により4大聖地の一つになり、宗教
革命
の
際にはルターがここで会議を開催し、さらにグリム兄弟が通った古い大学が存在する。友人たちの案内で歴
史的
建
築を見て回り、あらためて第二次世界大戦があったとはいえ本当によく戦前の建物が残っていることに驚か
され
る。
ドイツの都市と建築の近代化の歩みとその質が日本と大
きく異なっているのであろう。もしかすると、20世
紀
初頭でこの地の都市化は終わり、第二次世界大戦以後はこの歴史的建築を守ることであったのかもしれな
い。

マー
ルブルク城から市内の眺め 中心部の木骨土壁造建築の街並み

エ
リザベート教会、元はカトリックだったが宗教 教会のドアの金具 こんなところにヘムヘムが。
革
命後プロテスタント教会に改装された。
教会のファサード
途中、歴史建築の修復現場に出くわし、マイスターに仕事の目的とやり方を尋ねた。1998年にユネスコ
の世界
遺
産都市に認定されると、それまで簡易的に行っていた修理・修復方法をより正統的なやり方に戻す作業が進
行中
で、その現場では持ち主が店舗として使用するのを契機に、コンクリートブロックの壁詰め物を外し、また内
側
の
石綿断熱材をとり、柳枝で小舞を掻いて、壁土を塗りつけるところであった。このマイスターは、日本でいう
大
工
でも左官でもなく、組積造のマイスターであり、石や煉瓦を積み、さらに土壁を作り、壁仕上げをする。

修
復中の土壁-外部 修復中の土壁-内部
修復用の壁土
ところで、今回の旅ででルターがより身近な存在になり、またドイツの人たち先生と知り合いになり、7、
8年
前プ
ロテスタント教会建築研究をやっていたY君をここの大学に留学させてあげればよかったかなと、。カッ
セ
ル
大学にもよい先生がいると聞いた。
翌日、マールブルクを後にし、カッセルに向かう。カッセルの朝はまだまだ寒くて、路上の車のガラスには
霜が
おり
ていた。ドイツは朝早くからパン屋さんが店を開いており、パンとチーズとハムがおいしい。残念なが
ら、
肉
食中心というのは日本人には向かない。物価は日本とほぼ同じくらいで、友人たちは日本で屋敷と呼べるくら
い
の
大きな家に住んでいた。

カッ
セル駅-列柱に支えられた巨大な屋根。こんなの カッセルの朝-3月末だというのに霜と霧が、、。
が
日本のどこかにもあった。
カッセルから目的地のワイマールまでの車窓からドイツの農村風景に見とれる。途中から旧東ドイツとなる
が、
同じ
農村風景が連続していた。ゆったりした丘陵地に、羊や牛の牧草地とジャガイモらしい畑地が混じりあ
う。
水田風景に慣れ親しんだ私にとって、新鮮な風景であった。低地には小川が流れ、その両岸を樹木が守ってい
る。
日本ではほとんどの川が土堤防かコンクリートで覆われてしまい、人間を含む生物を寄せ付けないようになっ
て
い
るのと大きな違い。降雨量が違うとはいえ、日本は治水事業のやり方を誤ったとしか思えない。
また、どこの集落にも多数の木骨土壁造建築が存在しており、あらためてドイツの都市・農村開発の歴史に
関
心を抱く。ドイツでは20世紀初頭で住環境と農業生産資本整備・蓄積が終わったと考えていいのだろうか。

ゆ
るやかな丘陵牧草地と木々で護岸された小川 車窓から見える小都市-どこも木骨土壁造建築だ
らけ
旧東ドイツでは一部の建物は空家状態であったり、壊れたままであったりし、東西ドイツ統合の傷をちょっ
と
見た気分。電車は予定通り10時48分にワイマール駅に到着し、S教授の出迎えを受ける。ありがたいこと
に
私は大学の公式ゲストということで、宿などすべて用意してもらった。バウハウス大学のすぐ目の前のホテル
に
チェックイン後、これからの予定の確認、そして早めの昼食。ワイマールのベスト料理はギリシャ料理か中華
料
理なのだという。ギリシャ料理を頂き、市内主要部を散策後、建築材料学科の校舎で私の講演。30人ほどの
学
生が集まってくれた。学生から活発な質疑があった。

ワ
イマールの中心広場-青空市場になっている ワイマールの旧市庁舎

ユー
ゲントシュテールが リストが暮らした家-パラディアン窓

最
初のバウハウス校舎-ファン・デ・ヴェルデの設計 現在のバウハウス大学建築学科校舎
翌日はS教授の講義に使っている土建築テキストやプロジェクトなどを紹介してもらい、土建築に関して中
心的役割を果たしている方であると再認識する。特に、これから建設にとりかかるというホスピスの送葬場は
とても印象的なデザインで、巨大な卵形平面をしたものであった。キリスト教聖書では神は土で人間を作った
ことになっており、死後土建築ホスピスで葬送されるのは幸福なことなのではなかろうか。
ワイマールでは伝統木骨土壁造ではないやり方で土を使った住宅のいくつかを見せてもらった。木骨の間に
軽量固練土を詰め込んだり、軽量固練土ブロックを積んで壁を作る。気温が高く湿度が低い季節に工事をし、
翌年よく乾燥してから壁の仕上げ塗を行うという。軽量固練土はそのままの状態で建材屋が供給してくれ、日
本のドロコンのシステムと似ている。ここでは軽量化するために発泡ガラス粒と麦わらを混ぜ、断熱効果も狙
っている。発泡ガラス粒は、日本の土壁にも使えそう
だ。S教授の自宅も見せてもらい、早朝に小1時間暖房
したの部屋は、日中とても気持ちのいい暖かさであった。

省
エネ新型木骨土壁住宅-固練り軽量土壁に 省エネ組積造住宅-空隙煉瓦ブロックを使用
仕
上げ塗り
空隙煉瓦ブロック

S
教授の自邸正面-サンルームにたくさんのサボテン 同左内部-天井まで土を塗っている。

40
センチを超す壁厚-固練り軽量土壁構法 S教授がタイガーと呼ぶネコ-人なつっこい。
その後、屋外集落博物館へ行き、東ヨーロッパに広く分布する校倉式建物を目にする。3月はまだまだ寒
く、観光シーズンではないので、博物館住宅の内部には入れなず。昼食は、肉とキャベツとポテトの詰め合
わせ。ポテトは蒸してから一度つぶして、粘りを出しているので、なんかかわった味と食感。キャベツの煮
物は少し酸っぱい味がした。

村
ごと屋外博物館になっている。 旧役所

二
階にギャラリーが飛び出た家と鳩小屋 素朴な木骨土壁造の家

校
倉の家 土壁構法の展示
最後は今回もっとも見たかった土建材屋さん。12年前までは普通の大工マイスターであったが、ドイツ統
一と
とも
に企業家意欲がわき、S教授から助言を受けて新建材の開発へ。もともとS教授は、この大工の村の近く
で
東
ドイツ最後期に土建築住宅を学生と一緒に造っていた。当時、東ドイツでは工業製品は豊かではなく、セメン
ト
を
購入するのには行政の許可が必要であった。それでは土を使って建物を建てることができないかとS教授は考
え、
ある住宅施主の協力を得て実用に耐えるものを学生の手をかりながら建設することにした。これがS教授と土
建
築
との本格的つきあいが始まった。

大
工マイスターが住む村-素朴で良いところでした 大工マイスターが修復した家
大工マイスターが事業を始めるにあたり、土建材の可能性をよく吟味し、壁造りを効率化するために固練軽
量
土とそのブロックを作ることにした。機械はコンクリートブロック製造機械を応用し、多くの実験を経て発泡
ガ
ラスと麦藁を入れることにした。こうすると、軽量化になり、また断熱性能があがる。しかし、固練りなので
も
ろく、1メートルの高さから地面に落とすと壊れてしまう。しかし、木骨の間を埋めるように使うぶんには
まっ
たく問題ない。一個1ユーロの固練軽量土ブロックは昨年は売れに売れ、一千万を越す売り上げだったとい
う。

裏
の畑地から採取した土をふるいにかける 粒度のそろった土

麦
藁と発泡ガラスを入れてミキサーで固練り 着色用の土

発
泡ガラス粒 3〜4cmに切られた麦藁

同
左製造器-自走式コンクリートブロック製造器を転用した 固練軽量土ブロック-出荷する前に2週間乾燥
させる
突固め壁の見本-1メート
ルごとに石か煉瓦を敷く
この空練ブロックは、相互に緊結しないと地震の時に木骨から土壁が飛び出してしまう危険性があり、日本
で
はむずかしいのではないか。しかし、一つの乾式構法として学ぶことは多い。
ベルリンでは、かつて私の福建建築調査に参加してくれたM女史と会う。3年前にペナンのショップハウス
を
テーマに博士論文を書き上げ、ベルリン大学の考古学科に勤める旦那と赤ちゃんとで屋敷に生活していた。ベ
ル
リンでは、ベルリン大聖堂とシンケル設計の建築群に感動する。その後ロンドンに向かったが、今回はイギリ
ス
について特に書くことはない。

ベ
ルリン-戦災後の住宅と街並み 集合住宅-かつてArchitectural
Recordに紹介された

旧
ベルリンの壁-現イーストウォールギャラリー

シ
ンケル設計の建築

ベ
ルリン大聖堂
最後にドイツの知人・友人の皆様、どうもありがとうございました。